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44歳の英検受験生です。
先日、二級を受験して、とりあえず一次試験は合格したと思います。
現在、準一級と一級の準備をしていますが、一級の学習がはかどりません。
単語の難しさは克服していけると思いますが、リスニングが大きな障害です。
もともとリスニングは苦手ですが、ヘッドフォンがないと一級の難易度に太刀打ち出来ません。
現在、旺文社の「文で覚える単熟語」を利用していますが、別売りCDの難解さに尻込みしています。
本当にあんなレベルのリスニング力を求められるのでしょうか?
一級取得者及び学習者の方々、知恵をお願いします。
私は正直貧乏ですから、アレコレ買物は出来ません。
必要最低限のマテリアルで合格しなくてはなりません。
「NON STOP ENGLISH WAVE」というリスニング教材に目をつけていますが、一級対策に役に立つものでしょうか?
それとも「CNN EE」の方が有効でしょうか?
英語を学習するのにおすすめの教材を教えてください。受験用でないもの
http://q.hatena.ne.jp/1187016657
数学3Cの講義DVDを販売している予備校など今年医学部受験するのですが、今学校で学習している3Cを自分の力だけで相応の学力にまで上げれるのか不安を抱いています。
予備校などない田舎なので、予備校の講師が授業しているDVDを買いたいと思っているのですが、DVDを販売している予備校はありますか?
予備校じゃなくてもいいです。
数学の講師が数学3Cを講義しているDVD、またはVHSがあれば教えてください。
私立や公立の小・中学校も普通の小・中学校と学習内容は同じなのですか?
小学校で中学校の学習内容を先取りして学習・中学校で高校の学習内容を先取りして学習することってあるのですか?
無知な人には、老年は冬だが、学習を重ねた人にとって、それは収穫期だ。
この言葉は真理ですか?
[前回のqwei004様の回答に対する返答・質問です]「仮定」に対する重要な支持要因と成り得るものとは、qwei004様が幾度と仰るようにリアリティーに値すべきかどうか、その為には現時点において検証可能な事象を見極め、その上で現実を精査する必要があるということでしょう。
初期の私の質問に対するqwei004様の回答に繋がったものと受け止めております。
さて、今回はqwei004様が仰るような〈人間は瞬時にその場に有効と考えられる可能性を無意識に瞬時に選択する能力を持っており…〉能力(以上が人間理性を象徴するものかどうかは別として)及びその周辺に焦点を当て改めて質問させていただきたいのですが、まず人間は人工知能とは異なり過去経験における事実性のみならず、経験に伴う感受的な「質感」といったものを併せて吸収、学習するため未知における、より合理的な予見を可能にする、ということと理解したのですが如何でしょう。
また囲碁の例でも触れられたように、膨大な可能性を瞬時にかつ現場に則した形で処理するには、まず必要・不要を区別し(区別すら無意識処理なのでしょうが)瞬時に膨大な不要を避け必要を選択する、そのような総合的判断力が必要となるのでしょう。
そこでお窺いしたいのですが人間特有の総合的判断力(論理的かつ感受的)とは外界との接触において初めて顕在(意味を持つ)するのでしょうが、では外界とは何か、総合的判断力との関係性においてどの様な示唆を私達に提示し得るのか、また外界自体が総合的判断力にとって如何なる意味を持つのか、以上非常に曖昧な問いに落ち着き申し訳ないのですが、宜しければご意見お聞かせください。
正しくご理解いただき有難うございます。
実は、経験に伴う質感については文字数もあって言及を差し控えましたが、それも含めてのご明察をいただき感謝にたえません。
総合的判断力についてですが、外界との接触において初めて顕在する、と断定することに個人的には躊躇を覚えます。
もしそうであるならば、外界に出る機会が多い人間は少ない人間よりもより正しい判断力を獲得するということになってしまいますが、現実は必ずしもそうとは言い切れないからです。
ですから、最初に外界とは総合的判断力をもたらす一ファクタに過ぎないという見解を示させていただきたいと思います。
どれほど外界に触れていてもそれが影響を及ぼさない者もいるということです。
逆にいえば、人の理解とは接触によって顕在するのではなく、それは接触と隔絶によって行われるのだと考えます。
外界はそのステージとしての意味を持つということですね。
人間が外と内の概念を獲得するための外の具体物としての外界ということになります。
ですから、外界だけでは意味がない。
外界を認識した後に、外界からの隔絶が起きてこそ、外界の意味は生じると考えます。
それはまたここでも差異としての認識ということになります。
内と外の差、それが人間に判断力を養います。
なぜ外界の接触のみでは判断力が育たないのかといえば、常に外界と接触している状態では人間は外界という存在を忘れてしまうからですね。
外界との接触という経験が人間を喚起するためには外界は常に意識上になくてはなりません。
しかし、外界との接触が常態になってしまえば、それはないのと同じことに、少なくとも人間の認識の上ではなってしまうのです。
ですから、ここで役に立つのは隔絶です。
失うことで意識を新たにすることができるわけですね。
それはいわば人間にとっての外界という認識の更新作業とも言うべきものです。
そして、この更新こそが総合的判断力の顕在を促すものとなります。
外界が失われることによって外界を人間は意識します。
隔絶状態で意識するということは外界を脳内においてイメージすることになり、イメージとは人間の認識において再構築されるということです。
再構築によって接触体験はより強固な記憶として記憶され直すことになります。
ことわざにもありますよね、逃がした魚は大きい。
これは失ったことで魚という概念が再構築されるために大きなインパクトをもって認識されるということです。
しかし、先に述べたように外界との接触を頻繁に行えない者もいます。
長期療養中の病人であったりすれば健康な人間よりは接触自体は少なくなります。
例えば、正岡子規。
彼も長い病気療養を強いられました。
しかし彼の総合的判断力が余人よりも劣っていたかといえばそれは疑問です。
つまり、接触の少なさは知識と学問と想像力によって補うことができると個人的には考えています。
むしろそれこそが最重要ファクタであろうと自分は思います。
人間の経験は有限なものです。
個人の人生における実体験は数限られています。
それを補うのが学問に代表される知識であろうと思います。
知識とは他者の体験であり、個人の体験をより遠くへと伸ばす羽でもあります。
人は手の長さより先のものに触れることはできませんが、他人と手を繋ぐことでその先にあるものもまた手元に引き寄せることができるのだと思います。
人間とはワインの醸造所のようなものです。
体験を入れておけば熟成します。
熟成とは外界の再構築です。
熟成した甘美なワインこそが総合的判断力であり、それは再び豊かな想像力へと還元されるでしょう。
この繰り返しが常に行われていて、人間の判断力をより強固なものへと仕上げていくと考えます。
補足:他の方の仰る通りですね。
他の方の回答を拒否する質問ではないと思いますが、正直、ID指名では参加しにくいだろうとは思いますし。
よって自分の回答はこれにて終わりにさせていただきます。
ご不快に思われた方いらっしゃいましたら、ご容赦ください。
質問者さん、楽しい質問を有難うございました(^^)